長屋王 | |
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■ 長屋王(ながやおう)【出典】
・ 676?ー729年。自害。
・ 出身地: 大和国。
・ 肩書き: 公家。
・ 家族: 祖父:天武天皇、父:高市皇子。
・ 長屋王は、672年の壬申の乱で活躍した高市皇子(たけちのみこ)の子。高市皇子は天武天皇の長男で、長屋王は孫にあたる。妻は天武天皇の妹の吉備内親王。長屋王は藤原不比等の死後に頭角をあらわして、右大臣から左大臣にのぼって政権を掌握した。藤原不比等の娘の光明子(こうみょうし)は天武天皇の妃であったものの、長屋王の出世をみた不比等の子の、武智麻呂、房前、宇合、麻呂の四兄弟は、藤原氏の危機を感じた。そして、長屋王を陥れようと、聖武天皇と光明子の間の子の基王(もといおう)が1歳になる前に死んだのは、長屋王が密かに呪術を学んでいるためと謀反の疑いをかけた。追い込まれた長屋王は729年に、宇合の軍勢に包囲され、吉備内親王と四人の子どもとともに自害した。これを長屋王の変という。
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