藤原不比等
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■ 藤原不比等(ふじわらのふひと)【出典

・ 659−720年。享年62歳(病死)。

・ 出身地: 大和国

・ 肩書き: 公家

・ 家族: 父:藤原鎌足

・ 不比等は藤原(中臣)鎌足の次男。壬申の乱のときには、大友皇子の近江朝に与した。下級官吏として出発した不比等は、文武天皇から大宝律令の制定を命じられた42歳のとき。その後、不比等は朝廷からの信頼が厚く、50歳で右大臣になって藤原姓を名乗れるのは不比等の子孫のみとなった。710年の平城京へに遷都を主導して、718年の養老律令の制定を行った。娘の宮子は文武天皇夫人に、光明子は聖武天皇の皇后になって、天皇家と深くつながっていった。これが藤原家繁栄の礎になった。


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