「えみし」と「えぞ」
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・ えみしと呼ばれた人達は
(1) 関東の毛人(えみし)
(2) 東北の蝦夷(えみし)
(3) 北海道の蝦夷(えぞ)

・ 蝦夷が東北人からアイヌ人をあらわすようになったのは鎌倉時代だそうだが、「えぞ」とはアイヌ語で「人」を意味するという説が強いそうだ。

・ 蝦夷は政治的に使われ、後醍醐天皇は関東の人を蝦夷と呼んだ。

・ 陸奥国(東北地方の太平洋側)の蝦夷(えみし)に対して、出羽国(東北地方の日本海側)の先住民は夷狄(いてき)といわれた。

・ 11世紀から12世紀にかけて、「蝦夷」の読み方が「えみし」から「えぞ」に変化し、しだいに北海道を意味する言葉となる。

・ もっとも、夷狄を調べると『「夷」は東方の蛮人、「狄」は北方の未開人の意となっており、外国人を軽蔑したり敵意をもったりして呼ぶときに使う語とも書かれている。

・ そもそも、古代の北陸地方から東北地方の日本海側については、「越(こし)の国」と呼ばれ、出羽国は越の国から羽のように飛び出た地域という意味で、「越の国」から分離したらしい。この「越の国」の由来は京から見て「琵琶湖(山?)を越した地域」の意味らしいが、他説では越(中国南部やベトナム)の人たちが対馬海流に乗ってたどり着いて住み着いたという話もある。「こし」で有名なのは新潟県長岡市山古志(旧山古志村)で新潟中越地震のときに壊滅的な被害をうけた。この「古志」という地名、結構ある。

【古志のおもな地名】
・ 富山県富山市古志町
・ 島根県松江市古志町
・ 島根県出雲市古志町
・ 鹿児島県大島郡瀬戸内町古志
・ 新潟県古志郡(新潟県の中央部)

※ まぁ、これをみてもわかるように、すべて対馬海流沿いの地域ですねぇ。従って「こし」の由来は「越国からの海洋民の移住地説」に1票。

【参考資料】

★ 論語の中で、孔子が「子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也。」と言っている。「子曰(しのたま)わく、夷狄(いてき)の君(きみ)あるも、諸夏(しょか)の亡きには如(し)かざるなり。」と読み、「夷狄のような野蛮な民族の国が君主をいだいているとしても、諸夏、つまり中原の漢民族の国が君主を欠いているのと比べると、やはり格が落ちているといわなければならぬのだよ。」の意味。
・ 古代、出羽国(東北地方の日本海側)の人たちを、中央政府では「夷狄」といったが、中国からきた言葉か。


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