「櫛橋」の名字の由来 | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu | 「か」行の名字 |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
■ 櫛橋(くしはし)
【2023/04/25:新載】
# 播磨国印南郡の国衆。相模国の櫛橋氏の一族か。南北朝時代に、伊朝は赤松氏に属した。嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱では、貞伊が討ち死にし、応仁の乱以降は別所氏に属し、永禄年間以降は志方城(兵庫県加古川市志方町)に拠った。天正6年(1578年)の豊臣秀吉の播磨攻めでは、三木城の別所長治に与して志方城に籠城し、敗れて滅亡した。なお、伊定の娘は黒田孝高に嫁いで、黒田長政を産んだ。【出典】
# 兵庫県の櫛橋家
都道府県毎の名字の特徴 | 名字の様々な区分 |
難読名字 | 難読地名・珍地名 |
地名と災害 | 名字の博物館 |
名字と地名・都道府県編 | 民俗学の広場内の検索 |
■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。【詳細】