「下関」の地名の由来 | |
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■ 下関(しものせき): 山口県下関市
・ 明治時代には「馬関」の呼称が一般的だった。都に近い方から上・中・下の関があったことに由来する。「上関(かみのせき)」は「上関町」として今もある。「中関(なかのせき)」は現在の周防市にあったという。【出典】
・ 下関駅(しものせきえき): 山口県下関市竹崎町。JR西日本・山陽本線。古くは赤間関、赤馬関と呼んだ。下関は上関、中関に対しての名称。一番西の下で開けた街。昭和50年(1975年)に長門一ノ宮駅を改名した。【出典】
・ 下関駅(しものせきえき): 馬関駅(ばかんえき)→下関駅。山陽本線。赤間(馬)関の漢語的略称が馬関。下関市は以前は赤間関市といった。同じ要衝の竃戸関(かまどせき)が「上関(かみのせき)」と呼ばれ、赤間関は下関と呼ばれた。【出典】
・ 新下関駅(しんしものせきえき): 山口県下関市秋根南町。JR西日本・山陽新幹線・山陽本線。
・ 下関(しものせき): 古来、この海峡は交通・軍事上の要地で、古くは「長門関」または「赤間関」「赤馬関」と呼ばれた。また、江戸時代の元禄時代には、漢詩上「馬関(ばかん)」と表現したことから、明治時代には「馬関」という呼称が広まったという。この「下関」に対して「上関(かみのせき)」「中関(なかのせき)」が存在したというのがこの下関のミソである。「上関」はもと「竈土関(かまどせき)」と言い、今も「上関町(かみのせきちょう)」として存在する。また「中間」は現在の周防市にあった関だという。上・中・下の順序は、言うまでもなく都から近い方から上・中・下である。明治22年(1889年)に、赤間関村を中心に六つの村が合併して「赤間関市」が誕生した。山口県最初の市制施行だった。そして、明治35年(1902年)に「下関市」に改称した。【出典】