「桐」の地名
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■ 桐谷(きりざく): 千葉県香取市桐谷(きりざく)。地名は当地を南北にはさむ谷地地形にちなむとも言われる。

■ 桐谷(きりだに): 岐阜県高山市国府町桐谷。切谷とも書いた。地名の由来は、谷辺に山桐の成木が繁茂していたことによるという。【出典

■ 桐谷(きりたに): 富山県富山市八尾町桐谷。小見村の兵助・仁平・茂右衛門が山中に盆地を発見、これを拓いたのが当村の始まりという。のち、赤倉山が崩れ、久婦須川を堰き止め湛水が村を沈めた。地方語ではこれをスワリと呼ぶ。このスワリを切り開き、排水に成功したのではじめ切谷村と称したが、のち転化して、桐谷村となった。開村期及び赤倉山山崩れの年代は明らかではないが、天正11年「佐々与左衛門知行方目録事」に「参百六拾俵之所 婦負郡西きり谷、赤蔵」とあることから、当時すでに村を形成していたといえる。東西の「きり谷」は久婦須川の両岸を指し、「赤蔵」は赤倉山の中腹、現在の小字赤倉を指し、赤倉山崩壊とともに四散、柳池・堀ケ池・つぶらが池をはじめ一群の池が残され、八尾(やつお)町名勝の1つとなっている。また、赤倉山は融雪増水期の地滑り記録が多く、特に天保7年大崩壊を起こし、桐谷村は再び一大湖水化、翌年富山藩が難民救済のため救米・救金を支出、助小屋を建設している。【出典

■ 桐原(きりはら):  新潟県上越市桐原。古くは切原とも書いた。高田平野の中央部、関川とその支流飯田川との間。地名は、原野を切り開いたことにより、後に桐の吉字を当てたという説がある。【出典
・ 桐原分(きりはらぶん): 長野県松本市江戸時代から明治にかけての村名。奈良井川下流域、松本城下の北に位置する。中世には山辺に勢力を有した桐原氏の飛び地類であったため桐原というと伝える。キリとは新開の意ともいう。明治5年桐村と改称。【出典

■ 桐原(きりはら): 長野県松本市入山辺東・西桐原。薄川右岸の段丘面から、山辺(やまべ)谷北側山地を形成する山辺山南斜面にかけて立地する。桐原は各地にみられる地名であるが、その由来は切原すなわち新開地の意であろう。【出典

■ 桐原(きりはら): 三重県南牟婁郡紀宝町桐原。熊野川支流相野谷(おのだに)川上流域の谷あいに位置する。地名は、大野荘(旧新宮神領)の末端に位置することから名付けられたという。【出典

■ 桐原(きりはら): 熊本県上益城郡山都町城原桐原。阿蘇外輪山南部、緑川上流の五老ケ滝川中流左岸に位置する。河岸段丘付近に阿蘇氏の居館と伝える浜の館跡があり、後方台地には岩尾城跡がある。地名については、岩尾城下で軍馬の飼料の藁を切って置いた地として切藁からの転訛とする説もあるが、丘陵台地の端が急傾斜で切り立っている地形の意とも考えられる。【出典

■ 桐原(とげ): 広島県広島市安佐北区可部町大字桐原(とげ)

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