日常が当たり前
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu ワンポイントのTop
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 150309: 日常が当たり前

誰でもにいえることだが、自分が暮らす地元の日常が当たり前だと思う。

例えば、山形では「ゴミを捨てる」ことを、「ゴミをなげる」というが、だからと言って放り投げるわけではない。これが日常の表現。

と、同様に「東海林」という名字は山形では「とうかいりん」と読むことが当たり前だと思っている。だって、そうだろ。「東海林」は普通に読めば「とうかいりん」だ。しかし、テレビを見てその日常を疑問に思う時があらわれる。だって、テレビに出で来る「東海林」さん、みんな「しょうじ」ってよばれるんだもんなぁ。「東海林太郎」「東海林のり子」「東海林さだお」。おいおい、だれか「とうかいりん」読みの、東海林の有名人いないのか?

先日、山形県外の知人とこの話をしていたら、「東海林を『とうかいりん』と読むのは知らなかったし、山形ではそれが当たり前ともしらなかった」だと。再度言うが、「東海林」は普通に読めば「とうかいりん」だろ。「東海林」を「とうかいりん」と読む山形人は漢字も読めないアホなのか(笑)

まぁ、このように、色々な分野の「常識」というものが、所変われば変わるのである。

そうそう、「大分県」だって何気に「おおいた」と読むが、これだって常識的に読めば、「おおわけ」だろう。「おおわけ」と読むのが常識人か、「おおいた」と読むのが常識人か?頭痛くなりそうな話しだ。

もっとも、福岡県飯塚市大分は「だいぶ」と読むから、このあたりの人に言わせると、「大分県」も「だいぶけん」かもなぁ。

統計表示