安政江戸地震
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■ 安政江戸地震

# 安政江戸地震

・ 東京直下を震源とするM6.9の地震。死者数約7000、全損世帯数約14,000。

・ 安政2年(1855年)10月2日22時。東京都江東区を震源とするM6.9の地震。最大震度6。死者約1万人。

・ 黒船来航の前後には4回の大地震が発生した。「小田原地震」「伊賀上野地震」「安政東海地震」「安政南海地震」。
・ 当時の老中首座は福山藩主阿部正弘。しかし、地震で江戸屋敷が大きな被害をうけると体調を崩した。安政4年に39歳で死亡する。 

# 安政江戸地震

・ 安政2年(1855年)10月2日

・ M7前後。震源は東京湾北部。江戸では震度5弱から6強と推定される。震源に近い、本所、深川、浅草などの低地埋め立て地の揺れが激しく、倒壊家屋は14000戸に及んだ。

・ 日本橋から神田にかけては震度5弱程度で、家屋の倒壊はほとんどなかったが土蔵の倒壊が目立った。

・ 火災の発生が多く、多くの死者をだし、死者総数は10000人にのぼるといわれる。

【今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで 岳真也 PHP文庫】 

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