鍋島家の人々
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■ 鍋島直茂(なべしまなおしげ)

■ 鍋島直正(なべしまなおまさ・閑叟)
# 肥前国佐賀藩主。オランダ語に堪能だった。1814年に、九代藩主の斉直野子として生まれた。12歳のときに十一代将軍の徳川家斉の娘の盛姫を娶った。1828年に九州一帯を大暴風が襲った。佐賀藩の被害は死者8550人、全半壊した家屋は約4万8千軒。火災による焼失は約1200軒。そのせいで、佐賀藩の財政はさらに逼迫した。 
# 鍋島直正(閑叟・かんそう)が佐賀藩35万石の藩主になったとき、財政はどん底状態だった。天保元年(1830年)に、江戸屋敷から領国の佐賀へ出発したものの、品川宿から先に進むことができなかった。多くの商人が押しかけ、借金返済を迫っていたからである。直正は質素倹約に徹した。すでに、「粗衣粗食令」を出して、約400人の家臣を整理した。櫨(はぜ)の栽培や外国人向けの緑茶、石炭の採掘、貿易などに力をいれた。さらに、日本初の蒸気船、アームストロング砲なども作った。【出典

# 鍋島直正(なべしまなおまさ)【出典
・ 1814−1871年。享年58歳(病死)。
・ 出身地: 江戸。
・ 肩書き: 大名。佐賀藩主。
・ 家紋: 鍋島杏葉紋。
・ 鍋島直正は、父の隠居を受けて、17歳で佐賀藩主になったが、当時の藩財政は困窮を極めた。直正は大胆な藩政改革に乗り出す。産業振興をすすめ、小作料の免除などによる農村復興、役人の大幅削減を行った。ペリー来航に対して幕府から意見を求められたときには、攘夷を唱えた。


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