大鳥圭介
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■ 大鳥圭介(おおとりけいすけ)【出典

・ 1833−1911年。享年79歳(病死)

・ 出身地: 播磨国。

・ 肩書き: 幕臣。政治家。

・ 家紋: 鶴の丸紋。

・ 大鳥圭介は、播磨国の医師の子として生まれた。漢学、儒学、漢方医学などを学び、大坂の緒方洪庵の適塾で蘭学・西洋医学を習得した。1854年に、江戸にでてからは中浜万次郎に英語を学び、その後、幕府直轄の洋学教育機関であった、蕃書調書で働くようになった。圭介は34歳で幕臣に取り立てられ、幕府の陸軍の洋式訓練にあたった。1868年に、鳥羽・伏見の戦いがおきると、圭介は小栗忠順や榎本武揚らとともに、主戦論を強硬に主張した。同調する旧幕府軍を率いて江戸城を脱出し、土方歳三らと合流した。仙台で武揚と合流して蝦夷に渡ると、蝦夷共和国の陸軍奉行として戦ったが、五稜郭で降伏して、投獄された。 


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