大隈重信
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■ 大隈重信(おおくましげのぶ)【出典

・ 「大隈」の名字

・ 1838ー1922年。享年85歳(病死)。

・ 出身地: 肥前国(佐賀県)

・ 肩書き: 佐賀藩士、政治家。

・ 代表家紋

・ 大隈重信は、佐賀藩士の長男に産まれ、地元で儒学、国学、蘭英語などを学んだ後に、京や長崎で尊皇攘夷運動に参加した。新政府では参議兼大蔵卿になった。木戸孝允と結び、若手官僚になった大隈は、地租改正などの改革を担当して、殖産興業を推進した。また、酒造税を増徴し、官営工場を払い下げた。しかし、大隈がイギリス流の議院内閣制の導入を早めようとしたのに対し、岩倉具視や伊藤博文が反対し、1881年の開拓使官有物払い下げ事件をきっかけに、大隈は罷免された。下野した大隈は、1882年に立憲改進党を結成し、1898年には板垣退助らと憲政党を結成して日本初の政党内閣を成立させ、薩長藩以外から初の内閣総理大臣に就任した。政界を引退したのちには、大隈は胆石で死亡した。

・ 主な施策: 1882年に東京専門学校(早稲田大学)を設立。 


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