平賀源内
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■ 平賀源内(号): 「平賀」の名字の由来

・ 1728年〜1779年
・ 諱: 国倫(くにとも)
・ 画号: 鳩渓(きゅうけい)
・ 俳号: 李山
・ 文号: 風来山人
・ 十代将軍の徳川家治の時世。

・ 讃岐国の下級武士の出で、長崎留学後の1756年に家督を妹婿に譲って京に出た。「エレキテル」で有名かなぁ。

・ 晩年は、痴情のもつれから自宅で殺人をおかし、最後は獄中死をとげたという。死の真相は不明とか。
※ そうだったのかなぁ、この話は知らなかったなぁ。

■ 平賀源内(ひらがげんない)【出典

・ 1728−1779年。享年52歳(獄死)。
・ 出身地: 讃岐国。
・ 肩書き: 戯作者。
・ 家紋: 丸に梅鉢紋。
・ 源内は、讃岐国で、帰農した下級武士の家に生まれた。21歳で家督を継いだが、長崎へ留学して、オランダ語、医学、油絵を学び、また本草学を深めた。源内は25歳で家督を妹婿に譲り、大坂・京都遊学ののちに、江戸に出た。浄瑠璃作家として活躍、その後オランダ製の静電気発生装置の「エレキテル」を復元し、寒暖計も製作した。竹とんぼを発明したのも源内という。また、「土用の丑の日に鰻を食べる」習慣も源内の考案という。1779年に殺人で獄死した。


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