島原大変肥後迷惑
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■ 島原大変(肥後迷惑)

・ 寛政4年(1792年)4月1日

・ 雲仙普賢岳の噴火。死者約15000人。

・ 前山の大崩落によって大津波。島原藩では9500人の死者。肥後沿岸部の死者は5000人。

【今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで 岳真也 PHP文庫】 

# 寛政4年(1792年)4月1日。雲仙普賢岳の噴火。死者数約15000人。

# 現在、島原名物となっている素麺は、島原の乱で人口が激減したこの地方に小豆島から移住した人たちが伝えたと言われる。

# 当時の島原藩主松平家(深溝系で松平忠利を藩祖とする)。

# 4月1日の20日頃、激震とともに前山の一部が崩落。その後、土石流が有明海に流出して大津波が生じた。

# 島原(長崎県)の普賢岳の噴火で前山が大崩落して、それによっておきた津波が肥後国(熊本県)に押し寄せて迷惑を被ったというお話。

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