近藤勇
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■ 近藤勇(こんどういさみ)【出典

・ 1834−1868年。享年35歳(斬首)。

・ 出身地: 武蔵国。

・ 肩書き: 新撰組局長

・ 家紋: 丸に三つ引き紋

・ 近藤勇は、武蔵国多摩の農家の三男として生まれた。天然理心流の剣術の道場・試衛館に入門、その腕を認めた師匠の近藤周助の養子になった。28歳で、天然理心流宗家の四代目を襲名した。1863年に、徳川家茂の上洛に合わせ、幕府が護衛の浪士組への参加を募集すると、これに参加した。任務後、浪士組は分裂したが、近藤勇は京に残って、京都守護職の松平容保の配下で、壬生浪士組を組織、のちに局長になった。その後、壬生浪士組は新撰組となった。大政奉還後に、役目を失った新撰組は内部騒動が起こった。近藤はそれによって負傷し、鳥羽・伏見の戦いでは隊を率いることがかなわなかった。このときに治療したのが松本良順。幕府の軍艦で江戸に下った近藤は、大久保と名を変えて、幕命によって甲陽鎮撫隊を結成して甲府に出陣したが新政府軍に敗退し、下総国流山で態勢を立て直したが、新政府軍に包囲されて降伏して斬首された。   


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