島津斉彬
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■ 島津斉彬(しまづなりあきら)【出典

・ 1809−1858年。享年50歳(病死)。

・ 出身地: 江戸。

・ 肩書き: 大名。

・ 家族: 弟:島津久光

・ 家紋: 丸に十字紋。

・ 島津斉彬は、薩摩藩主の斉興(なりおき)の長男として生まれた。西洋かぶれで有名だった曾祖父の島津重豪の影響で、西洋の学術・文化を広く学び、シーボルトからも、医学・物理学を学んだ。そのため、父の斉興は、斉彬が科学技術関係に多額の藩費を使うのではないかと警戒し、なかなか家督を譲らなかった。斉興の側室のお由羅は久光を生むと、久光を藩主にしようと動いたため、斉彬の側近達はお由羅の暗殺を画策した。しかし、それは発覚してお家騒動を鎮めるために、斉彬らは幕府の阿部正弘に依頼、その結果、不行き届きの理由で、斉興が隠居して、斉彬が43歳で藩主になった。斉彬は幕政にも参加。軍備拡張を説くとともに、養女の篤姫を徳川家定に嫁がせた。安政の大獄に反発し、抗議のために上洛しようとした矢先に、病死した。


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