山田長政
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■ 山田長政(やまだながまさ)

# ?ー1630年。1612年に朱印船で長崎からシャム(タイ)に渡った。日本人の傭兵隊に加わって、のちにアユタヤ郊外の日本人町の統領になった。ソンタム王の信任を得て官位と特権を賜ったが、王の死後は後継者問題で宮廷内で反感を買った。華僑の勢力が拡大するとリゴール太守に任命されたが、政争によって負傷し毒殺された。【出典

# 山田仁左衛門長政は1590年に駿府で生まれ、父は山田九左衛門友昭といい、津国屋という紺屋を営み、母は藁科村(静岡市)の寺尾氏の娘という。若くしてシャム国(タイ)に渡り、国王を助けて六毘太守にまで昇進したが、晩年、反対派に謀殺されたという。【出典


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