細川勝元
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■ 細川勝元(ほそかわかつもと)【出典】: 「細川」の名字の由来

・ 1430−1473年。享年44歳(病死)。

・ 出身地: 摂津国(大阪府)

・ 家族: 子:細川政元

・ 肩書き: 管領

・ 応仁の乱における東軍の総大将だが、西軍の総大将の山名宗全とは、はじめから不仲ではなかった。16歳で畠山持国に代わって管領に就任したときには、宗全との関係を固めて畠山氏に対抗しようとして、宗全の娘を妻とした。しかし、畠山家の家督争いや斯波家の家督争いにからむうちに、次第に宗全と対立する形になった。1467年に当時の管領は、勝元が支援する畠山政長であったが、宗全は将軍の足利義政に強要して、自分の支援する斯波義廉(よしかど)を管領とした。また、日野富子は子の義尚を将軍にするために山名宗全に接近した。勝元は足利義視(よしみ)の後見役でもあったため、将軍職の後継争いもからみ、以後11年に及ぶ応仁の乱が始まった。初期には勝元側が優勢だったが、次第に拮抗した。1473年3月に宗全が病死すると、勝敗が決まらないまま勝元も後を追うように5月に病死した。


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