「到津」の名字の由来 | |
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■ 到津(いとうづ)
【2021/05/18:改編】
# 宇佐神宮の大宮司。豊前国企救郡到津荘(福岡県北九州市小倉北区)をルーツとする。宇佐公世の末子の公連が南朝方から到津荘の地頭に任ぜられて総領家から独立し、到津氏を称した。南北朝時代は南朝方の大宮司をつとめた。南北朝の合一後には、宮成氏とともに大宮司をつとめた。永禄年間、大友宗麟の宇佐宮の焼き討ちで到津荘に逃れたが、江戸時代になって宇佐に戻り、大宮司を世襲した。【出典】
# 大分県の到津家: 宇佐神宮の大宮司。豊前国企救郡到津荘(福岡県北九州市)をルーツとする。宇佐神宮の大宮司の宇佐公世の子の公連がこの地の地頭となり到津氏を称した。
・ 宇佐神宮の大宮司。宇佐公世の末子の公連が、南朝方から豊前国企救郡到津荘(福岡県北九州市小倉北区)の地頭に任ぜられて総領家から独立し、到津氏を称した。南北朝時代には南朝方の大宮司を務め、南北朝の合一後は宮成氏と共に大宮司を務めた。永禄年間、大友宗麟の宇佐宮焼き討ちで到津荘に逃れたが、江戸時代になって宇佐に戻った。明治時代には男爵。【出典】
# 到津(いとうづ)家: 全国の八幡宮の総本宮の宇佐神宮。奈良時代には宇佐家を称す。【日本史再検証 名家の「その後」 監修:森岡浩 別冊宝島】
# 「津」のつく名字。
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