「赤沢」の名字の由来 | |
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■ 赤沢(あかさわ・あかざわ)
【2022/11/15:改編】
# 伊豆国賀茂郡赤沢郷(静岡県伊東市赤沢)をルーツとし、清和源氏の出。小笠原長経の二男の清経が赤沢郷を領して赤沢氏を称した。南北朝時代に信濃国筑摩郡浅間郷(長野県松本市)を領して転じた。戦国時代には武田家から小笠原家に従ったが、謀反の発覚で滅亡したという。【出典】
# 信濃国筑摩郡に国人。伊豆国賀茂郡赤沢郷(静岡県伊東市赤沢)をルーツとする。清和源氏の出。小笠原長経の二男の清経が赤沢郷の地頭になって赤沢氏を称したのが祖。1335年に経興が信濃国筑摩郡浅間郷(長野県松本市)を賜って信濃国に転じた。戦国時代に稲倉城(松本市)を築き、1548年に塩尻峠で武田氏に敗れて下った。1582年に武田氏の滅亡後には小笠原氏に属したが、翌年謀反が発覚して清経が切腹して滅亡した。一族の朝経は細川政元、その子の政経は足利義政に仕え、1509年に政経のときに信濃国に転じた。以後は、小笠原氏に仕え、1604年に貞経が徳川家康に召し出された。江戸時代には旗本になって、小笠原氏に復した。【出典】
# 阿波国板野郡の国人。清和源氏の小笠原氏の一族で、信濃赤沢氏と同族か。三好氏の重臣で、板西城(徳島県板野郡板野町古城)に拠った。1582年の長宗我部元親の阿波侵攻の際、中富川合戦で赤沢信濃守・同鹿之丞が討ち死にして落城し、滅亡した。【出典】
# 「赤」の語源
# 「赤」のつく名字。
# 「沢」のつく名字。
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