「跡部」の名字の由来
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■ 跡部(あとべ)

【2022/11/19:改編】

# 松皮菱紋

# 山梨県から長野県にかけて多く見られる他、宮城県白石市や福岡県大牟田市にもまとまってみられる。

# 信濃国佐久郡跡部郷(長野県佐久市跡部)をルーツとし、清和源氏小笠原氏庶流。【出典

# 信濃国佐久郡および小県郡に跡部村があり、小笠原氏族伴野(ともの)時長の子の長朝に始まる。甲斐国の跡部氏も同系。ただし、河内国・伊勢国・美濃国の跡部郷発祥は古代氏族物部氏から出た阿刀部(あとべ)の子孫。代表家紋は「松皮菱紋」「三階菱紋」「蔦紋」。【出典】【家紋のデータ

# 新潟県の跡部家: 信濃国佐久郡跡部郷(長野県佐久市)をルーツとし、清和源氏小笠原氏庶流江戸時代には旗本。【出典

# 信濃国佐久郡及び小県郡に跡部村がある。清和源氏小笠原氏流伴野(ともの)時長の子の長朝を祖とする。甲斐の跡部氏も同族。ただし、河内国・伊勢国・美濃国の跡部氏は古代氏族物部氏からでた阿刀部(あとべ)氏の子孫。代表家紋は松皮菱紋、蔦紋。【出典】 

# 信濃国佐久郡跡部郷(長野県佐久市跡部)をルーツとする。清和源氏の出。鎌倉時代初期に、小笠原長清の孫の長朝が跡部を領して跡部氏を称した。以後、信濃・甲斐の各地に広がったが、室町時代中期に甲斐守護代をつとめた跡部駿河守・上野介父子が有名。また、武田信玄の重臣に、跡部信秋がいた。一族は江戸時代には旗本。【出典

# 現在は、山梨県から長野県にかけて多く見られる。その他では、宮城県白石市や、福岡県大牟田市にまとまってみられる。【出典

# 跡部(あとべ): 甲斐国武田家の家臣。信濃国佐久郡跡部郷(長野県佐久市跡部)発祥。清和源氏の出。鎌倉時代初期に小笠原長清の孫の長朝が跡部を領して跡部氏を称した。以後、信濃国・甲斐国の各地に広がったが、室町時代中期に甲斐守護代をつとめた跡部駿河守・上野介父子が有名。また、武田信玄の重臣だった跡部信秋なども知られる。信秋の子の勝資は武田勝頼の重臣で、1582年に勝頼とともに自刃した。一族は、江戸時代には旗本。【出典

# 「部」のつく名字

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