名字と地名の独り言
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■ 180118: 天武14年(685年)の詔に「諸国に、家毎に、仏舎を作りて、乃ち仏像及び経を置きて、礼拝供養せよ。」というのがある。それに呼応して、各地に寺が作られた。郡司氏族によって盛んに作られた寺を郡寺という。【日本の古代道路 道路は社会をどう変えたのか 近江俊秀 角川選書】
■ 180116: 地名を復活しても、出費はあっても金銭的には儲からないので、なかなか進まない。【地名の楽しみ 今尾恵介 筑摩eブックス】なるほど2。
■ 180116: 地名は無形遺産と同時に日用品。【地名の楽しみ 今尾恵介 筑摩eブックス】なるほど。

■ 171215: 奈良時代には集落のことを坪と言った。
■ 171215: 内裏は1227年の焼失後は再建されず、その跡地は内裏跡の荒れ野から転じて「内野(うちの)」と呼ばれた。
■ 171206: 10世紀になると、原則として摂関家の娘でなければ、皇后または中宮にはなれなかった。【日本人なら知っておきたい 名家・名門 武光誠 河出書房】
■ 171206: 鎌倉幕府を開いた源頼朝は摂関家を分裂させることによって貴族勢力の低下を図った。
それが、近衛家と九条家ができた始まり。そして、近衛家から鷹司家がわかれ、九条家から二条家と一条家がわかれた。これら、五摂家は明治時代には公爵となった。【日本人なら知っておきたい 名家・名門 武光誠 河出書房】
■ 171206: 伊勢神宮の神職家: 斎宮となった皇女は神の妻として、生涯独身で過ごした。伊勢神宮の実権を握っていたのは内宮の荒木田家と外宮の度会家。渡会氏はもとは磯部氏という伊勢の航海民の首長だった。【日本人なら知っておきたい 名家・名門 武光誠 河出書房】
■ 171118: 所変われば、沖縄では「東」を「あがり」といい、「西」は「いり」という。「西」は「西表(いりおもて)」で有名だが、「東」は「東江(あがりえ)」などという地名がみられる。

■ 171010: 江戸時代に約7万あった「村」を、明治22年に市制・町村制をしいて1万5千に集約した。戦後は、昭和の大合併により約3千に集約され、平成の大合併で約2千になった。【消えた市町村名の謎 八幡和郎 イースト新書】
■ 171010: 古代韓国語に地名の起源があるという節が流行ったことがあるが、まったく根拠はない。古代の百済語は書き言葉になったことがないため、まったく実態がわかっておらず、何を主張しても思いつきでしかない。【消えた市町村名の謎 八幡和郎 イースト新書】
■ 171010: 寺の数: 日本書紀の推古天皇32年(624年)9月丙子条に「寺四六所」とあり、畿内を中心に46の寺があり、869人の僧、1385人の尼がいたとされる。【風土記謎解き散歩 新人物文庫】
■ 170929: 農民の収入: 武蔵国豊島郡徳丸村(東京都板橋区)における一例。夫婦二人暮らしで、繁忙期には日雇いを一人雇った。【江戸の長者番付 菅野俊輔 青春出版社】
■ 170805: 江戸時代以前は夫婦別姓が基本。(例:源頼朝+北条政子、足利義政+日野富子)【兵庫県の名字 森岡浩 神戸新聞総合出版センター】
■ 170803: 鎌倉時代は分割相続が原則なので、嫡男以外の兄弟は本家の近くに分家し、その地名を名乗ることが多かった。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
■ 170802: 江戸時代には黒潮のことを「黒瀬川」といった?
■ 170725: 「何をやったか」という物差しより「誰がやったか」という物差しの方がまかり通る。【小説 遠山金四郎 童門冬二】
※ たしかにそうだ。
■ 170720: 内田康夫の「琥珀の道殺人事件」に、「キャラバン隊メンバーで市会議員の長内忠雄氏はこの付近一帯を支配していた豪族末裔らしい」と出てくる。
※ たしか、久慈市の市会議員だと。
■ 170711: 徳川家康は組織の分断管理が得意で、幕府のあらゆるポストを複数制にした。(例:江戸南北町奉行)。なるほど。
■ 170630: 称制: 皇后あるいは皇太子が、天皇の崩御後に即位せずに国政を掌ること。
■ 170619: 礼法家の伊勢貞丈の家訓: 「夫は男なるゆえ心行われたれども、妻は女のことなれば知恵たらずふつつかなる事多し」【参考: 考証 大奥 稲垣史生】
■ 170619: 関東管領の表と裏の境目には「大戸」があった。【参考: 考証 大奥 稲垣史生】
■ 170612: 不安や恐怖を克服するには、起きてほしくない事態の可能性を否定する心理が働く場合がある。
・ ジャレド・ダイアモンド(文明崩壊)の一説に以下のような内容がある。
ダムからある程度近くい住む人々が最も決壊を心配し、遠くなるほど関心が薄れる、ダムの間近に住む人は決壊を全く心配しない。
つまり、間近に住む人は危険を忘れることで日常を保っている。危機意識を持ちながら生活していくことは困難。【古地図が語る大災害 本渡章】
※ 津波被害や原発事故にも相通じるものがありそうだ。
■ 170605: 2007年に纒向遺跡の溝の跡の土壌成分を分析したところ、紅花の花粉が大量に検出された。これは、日本最古の紅花の検出という。【激変!日本古代史 卑弥呼から平城京まで 足立倫行 Asahi Shinsyo】
■ 170605: 古墳時代に箸が使われた証拠はなく、当時は手づかみで食べていたらしく、箸を使用したのは7〜8世紀という。【激変!日本古代史 卑弥呼から平城京まで 足立倫行 Asahi Shinsyo】
■ 170220: 徳川260年に時世で島原の乱を除けば国内に戦乱はなかった。これは世界的にも珍しい。2017年現在でも、第二次世界大戦後70年ほどでにすぎない。
■ 170214: 鮎: 中国では「ナマズ」を意味する?【日本語雑記帳 田中章夫 岩波新書】より
■ 170207: 「歴史学者は史料に縛られる」か、なるほど。
■ 170206: 築山殿の子は信康と亀姫。信康の正室は信長の娘の徳姫。
■ 170129: 湖東三山って、山のことか?寺のことか?
■ 170129: 城下町の人口の目安は、石高1万石で4〜500人。

■ 161227: 幕末に約7万あった藩政村は、明治22年の大合併で約1万3300の行政村に集約された。
■ 161217: 権力の交代時には巨大な建造物ができるか、なるほど。出雲大社もそうだし、安土城、大坂城、江戸城、他になにかあるかなぁ。
■ 161122: 後鳥羽上皇って、文武両道で、競馬(くらべうま)、相撲、弓、闘鶏、蹴鞠、囲碁、双六、彫刻、建築となんでもやった?
■ 161121: 内田康夫の「信濃国殺人事件」によると、信濃のコロンボこと長野県警の竹村警部の相棒の吉井部長刑事は長野県の松代の出身。
■ 161121: 戦国時代末期に、南蛮船の来航とともに日本国内に梅毒が入ってきて、結城秀康や黒田如水などが罹患していたとされる。一方、徳川家康は遊女を買わなかったので、感染を免れ長生きしたという。
■ 161121: 知知夫国時代の知知夫彦の「夫」は阿倍比羅夫の「夫」と同じ。「夫」→「父」。「秩」は官位や官職、扶持や俸禄を意味する。
■ 161115: 松尾芭蕉の弟子の曽良は信濃国上諏訪の生まれで高野七兵衛の長男だが、本名は岩波庄右衛門正字といった。後に伊勢国の長島藩に仕え、通称河合惣五郎といった。

■ 161112: 羽柴の由来
・ 内田康夫の「地の日 天の海」に書いてあったのかなぁ?小説なんで事実かは知りませんがとりあえず。
・ 羽柴秀吉は「端柴稗よし?」。では、端を羽に変えた理由は?佳字か?そういや、秀吉って若い頃「柴」の行商していたんだっけ?
■ 161105: 科野大宮(長野県上田市)。国分寺があったあとか?宮は神社だから、違うか。
■ 161105: そうか、勝頼が上野国の岩櫃城に行っていたら本能寺の変は起きなかったか。なるほど、その理屈、理解できるなぁ。その理屈ってなんだったかな?
■ 161105: 山本勘助は武田信玄の軍師と言われるが、この時代軍師はいなかった。ついでに江戸時代には藩はなかった。
■ 161031: 八代将軍吉宗と大岡越前の出会いは、越前が山田奉行の時の天領と紀州の松坂領との諍いが発端と言われるが、紀州藩の飛び地がなぜ伊勢の松坂にあったのか。なるほどなぁ。事実かは知らないが、紀州藩の初代藩主が鷹狩りが好きで、鷹狩りのできる平地の領地が欲しかった。えっ?紀伊国ってそれだけ平地が無いってことか。
■ 161014: へぇ、北海道に「礼文郡」と「利尻郡」があるのかぁ。もしかして、礼文郡って礼文島だけで、利尻郡って利尻島だけ?ちなみに東京都の伊豆諸島にはたしか郡名ないんだよな。
■ 160912: 関ヶ原の戦い。なんか、昨日の真田丸、録画はとりましたがまだ見ていない。しかし、ネットでは関ヶ原の戦いのシーンが数十秒しか放映されていない、主たるものは第二次上田合戦だと話題になっているみたい。でも、当たり前じゃないの?真田家は関ヶ原に出陣していないし、主たる戦場は上田だったんだから。加えて言えば、出羽国山形目線でみれば、関ヶ原の戦いの主戦場は「長谷堂の戦い」。上杉家最上家・伊達家連合軍の戦いですね。
■ 160721: 越中の犠牲の上に能登が栄えたか。
■ 160721: 幕末の奥羽戦争の死者: 秋田藩(361人、官軍)、庄内藩(322人・賊軍)、長岡藩(309人、賊軍)、米沢藩(283人、賊軍)、盛岡藩(112人、賊軍)
■ 160515: 「太閤記」の著者の小瀬甫庵(おぜほあん)は前田利家の息子の利常の保護下で記述した。前田家の悪口は書くわけないよな。
※ 滅んでしまった一族を悪者に仕立てるのが常道。賤ヶ岳の戦いの柴田家の敗因。
■ 160406: へぇ、前田慶次郎には子どもがいたのかぁ。慶次郎はたしか上杉家米沢藩)に身を寄せた記憶が。
・ 岐阜県の川瀬家: 美濃国多芸荘祖父江(岐阜県養老郡養老町祖父江)の旧家。石田三成の家臣だった川瀬彦兵衛は前田慶次郎の子の吉兵衛を託されて祖父江に隠れ住んだという。江戸時代には庄屋を務めた。
■ 160315: 「市」の中に「村」。北海道稚内市稚内村は知ってたが、埼玉県上尾市上尾村もあるんだねぇ。
■ 160315: 今日は、朝(夜中)からアクセスが多いんですが、なんでだ?
■ 160301: 続日本紀・大宝二年(702年): 3月17日: 越中国のうち四郡(頸城・魚沼・古志・蒲原)を割いて越後国の所領とした。
※ 昔は、越中国は今の新潟県域まで及び、後に四郡を越後国に編入したようです。当時の越後国は今の新潟県の北部から出羽国のあたりを言ったのかな。
■ 160114: 日本の前近代にいては、河川は源流から河口までを一つの名称でよばれることは珍しく、地域毎に違うのが普通だった。たとえば、京の保津川→大堰川→桂川→淀川。
■ 160112: 【日本の名字 武光誠 角川新書】で、「名字の分布は日本人の移動図」と述べている。

■ 過去ログ

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