聖徳太子
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■ 聖徳太子(しょうとくたいし)

・ 最初にスパイを使ったのは聖徳太子という説がある。聖徳太子の部下の大伴細人(ほそひと)が、「志能備(しのび)」とよばれる情報機関を作った。

・ 厩戸皇子(聖徳太子)の一族は「上宮王家」といわれ、上宮は太子が斑鳩に住む前に住んでいたところ。太子の死後は山背大兄王が上宮王家を継いだ。【日本史再検証 名家の「その後」 監修:森岡浩 別冊宝島】

・ 参考: 甲賀の地名の由来 

■ 聖徳太子(しょうとうたいし)【出典

・ 574−622年。享年49歳(病死)。

・ 出身地: 大和国

・ 肩書き: 摂政用明天皇の皇子。

・ 家族: 父:用明天皇。子:山背大兄王。母:穴穂部皇女(欽明天皇の皇女)

・ 聖徳太子とは諡(おくりな)で、本名は厩戸皇子(うまやとのみこ)という。当時、権勢をふるっていた、蘇我氏系の皇族で、妃も蘇我馬子の娘である。7歳のときには朝鮮半島の百済から入手した仏教経典数百巻を読破した。593年に、19歳で推古天皇の摂政になってからは、10人の人々の訴えを同時に聞き、それぞれに適格な返答をしたという。父親の用明天皇が仏教を信仰していたこともあり、聖徳太子も仏教を学んで、広めた。のちに、法隆寺を建立した。聖徳太子は仏教を通じて蘇我氏寄りにふるまい、一方蘇我氏の力を牽制しようとし、冠位十二階を制定した。これは、氏姓制度による政治的地位の世襲を廃し、能力や功績に応じて十二の位階を授け、広く人材を登用しようとしたのである。位階は一代限りで、世襲はされなかった。また、十七条の憲法を制定して、役人の心構えを説いて、天皇にたいしては「つつしんで従うべき」とした。のちに、遣隋使を派遣した。

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