「犀川」の地名の由来
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■ 犀川(さいがわ)

・  松本平と上田平の間の筑摩山地の東を流れる「千曲川」を「東川」と呼び、西側を流れる川を「西川」と呼んだ。「西川」を音読みして「さいがわ」となった。平家物語では「佐い川」その後、文献によって「犀河」などともかかれ、江戸時代以降は「犀川」と書かれた。【長野「地理・地名・地図」の謎 実業之日本社】 

・ 「泉小太郎伝説」によると、松本や安曇は昔は湖だった。この湖に住む「犀竜(さいりゅう)」と、高梨の池に住む「白竜王」との間に男の子が生まれ、「日光泉小太郎」と名づけられた。小太郎が大きくなるに連れて、犀竜は自分の姿を恥ずかしく思い、湖の底に隠れてしまった。母の行方をたずねた小太郎は、尾入沢で巡り会った。すると「犀竜」は「私は諏訪大明神の化身で、氏子を栄えさせるために姿をかえた。おまえは、私の背中に乗り、この湖を突き破って水を落とし、人の住める平地を作りなさい」と小太郎に告げた。小太郎が犀竜の背中にのった場所は「犀乗沢(さいのりざわ)」と呼ばれた。二人は岩山を突き破り、千曲川の川筋から越後の海まで乗り込んでいった。こうして安曇平には広大な土地ができた。小太郎と犀竜が通った犀乗沢から千曲川と落ち合うところまでを「犀川」と呼ぶようになった。【天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書】【天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書】

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