「栗原」の地名の由来
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■ 栗原(くりはら): 宮城県栗原市

・ 陸奥国栗原郡栗原郷。 

・ 伊治(これはり)城に由来する。

・ 栗の生えている原で、古代は栗は重要な食料だった。

・ 以下は私見: 宮城県栗原市は度々の大地震で震度7を記録しており、中には山の斜面が大規模に崩れたなどの記録もある。それを考えると「栗原」の「栗」は「クレ」の佳字で「クレ」は「崩れる、えぐられる」というのが語源になっている可能性もあり得る。

・ 「くり(崩壊地形)」+「はら(原)」で、「川沿いの浸食されやすい原」という地名か。【出典

続日本紀」に「置陸奥国栗原郡」と書かれ、767年に伊治城がおかれ、これを訓読みした「これはり」が「くりはら」になった。【出典

※ 「原」=「針・治}=「はり}で、新しく開いた開拓地を意味する場合も多い。 → 「栗原郡

・ 栗原郷: 平安時代に現在の宮城県にみられた郷名。「和名抄」栗原郡四郷の1つ。二迫川・三迫川にはさまれた丘陵一帯に比定される。「吾妻鏡」文治5年8月21日条によれば、源頼朝との文治合戦に当たり、平泉藤原泰衡は平泉防衛の最後のとりでを栗原・三迫などに構えたとある。この栗原が古代栗原郷にちなむ地と考えられる。また翌建久元年には泰衡の郎等大河兼任なる者が主君の弔合戦と称して兵をあげたが「栗原寺」において討たれた(吾妻鏡、建久元年3月10日)とあるが、その位置は現在の栗駒町上品寺付近と考えられ、これも古代栗原郷の地と推定できる。【出典

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