「漆山」の地名の由来
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■ 漆山(うるしやま): 山形市大字漆山

・ 村山地方、山形盆地の中央部、立谷川下流南岸に位置する。応永年間には斯波満直の三男で漆山殿と称された満頼が居住していたと思われる。また慶長年間には最上義光の家臣鈴木備後守が領有したといわれる。【出典

・ 漆山郷: 南北朝期に出羽国最上郡下大山荘にみられた郷名で、大泉氏、相馬氏の名が見える。【出典

・ 漆山駅(うるしやまえき): 山形県山形市大字漆山。JR東日本・奥羽本線。山形県山形市大字漆山。今でいえば秋のすばらしい紅葉。漆をながしたような色鮮やかな山という意味。【出典

■ 漆山領(うるしやまりょう)

・ 江戸期の所領名。村山郡のうち。領名は漆山村に陣屋が置かれたことにちなむ。【出典

・ 寛文8年山形に奥平昌能が9万石で入封すると、漆山領3万石は幕府領となり、東根(ひがしね)領3万石は下野宇都宮藩松平忠弘領となった。漆山領は現在の山形市の北部と天童市の南部の24か村で、高3万791石余であった。延宝5年に漆山村に陣屋が新築され、その後他藩の飛地領や米沢藩の預り地の設置などで支配者の変遷は激しかった。【出典

・ 宝暦10年漆山代官所を廃止し、長瀞陣屋付とし、漆山は出張陣屋となる。明和7年11月漆山村以下9か村1万5000石余が米沢藩の預り地となり、米沢藩は漆山に陣屋を設けた。安永5年8月楯岡・大淀・大石田など10か村高1万石が米沢藩預り地となり、漆山陣屋付となった。天保13年漆山以下4か村が山形藩秋元氏領となり、漆山の米沢藩陣屋は廃止された。弘化2年秋元氏は上野館林(現群馬県館林市)に転封したが村山郡に4万6000石余を分領したので、漆山以下36か村の上野館林藩領は漆山陣屋において支配し、幕末に至った。【出典

■ 漆山(うるしやま): 山形県南陽市漆山

・ 置賜(おきたま)地方、米沢盆地の北部、織機(おりはた)川の右岸に位置する。地名は、漆木が繁茂していたことによるといわれる。【出典】 

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