「香澄町」の地名の由来
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■ 香澄町(かすみちょう): 山形市香澄町

・ 明治7年〜現在の町名。もとは山形城三の丸郭内。三の丸郭内は士族の屋敷町であったが、明治6年には士族に土地が払い下げられ、土居・石垣・立木なども民間に払い下げられ郭構もとりはらわれていった。はじめは山形城の別名霞城をとって霞城村と名づけようとしたが、薄井権参事から文字をかえて香澄町とあててはどうかとの意見が出され香澄町と命名された。町内には庚申堂・木の実小路・小鍄(こかすがい)・大宝寺・天狗橋・袋留・南追手前・横町南・八幡石・霊石・六十里越・吹張・元厩(もとうまや)・桜小路などの字があった。大宝寺は鳥居忠政が山形へ入部した時に磐城平(現福島県)から大宝寺を移転させたことにちなむ。南追手前は二の丸南大手門の前であることから古くは南大手前と称していた。横町南は横町の南西部にあたる足軽の屋敷町であった。桜小路には藩の重臣たちの屋敷があった。【出典

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