「柴又」の地名の由来
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■ 柴又(しばまた): 東京都葛飾区柴又

・  かつては「嶋俣(しままた)」と呼ばれた。「嶋」はデルタ状の土地、「俣」は河川の合流地点を意味する。昔は一帯が海辺で、島のような土地が散在していた。江戸時代以降に「柴又」となった。

・ 養老年間には「嶋俣」と書き、戦国時代には「柴俣」と書き、現在は「柴又」と書く。河川が合流してできたデルタをいう。【東京23区の地名の由来 金子勤 幻冬舎】

・ 奈良の正倉院文書中の養老5年(721年)「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に「嶋俣里(しままたがり)」とある。当時の人口は42戸370人。応永5年(1398年)の資料には「嶋俣」とある。1559年の文書には「葛西柴又」とある。【東京の地名 地形と語源をたずねて 筒井功 河出書房】

・ 柴又はかつては嶋俣で奈良時代に40戸の集落があった。【お江戸の地名の意外な由来 中江克己 PHP研究所】

・ 奈良時代の正倉院文書には嶋俣とある。島俣が柴又となったのは室町時代以降で、その後、柴亦、柴俣、芝亦、芝叉などと書かれ、享保13年の検地以降、柴又に統一された。【東京・江戸 地名の由来を歩く 谷川彰英 ワニ文庫】

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