「かけ」の地名
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 地名の目次
「カケ」の資料集  
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 秋掛(あきがけ): 山口県岩国市美和町秋掛。地名の由来は、戦国の頃ここから安芸へ軍勢を駆けさせたことから安芸駈と名づけ、それが秋掛となったという。地名の由来が示すように、大内氏の軍勢が安芸へ侵入する重要なルートの1つである。【出典

■ 網掛(あみかけ): 長野県埴科郡坂城町網掛。地名の由来は、小字浜場が存在し、近くに千曲川の鮭を捕獲するに適した漁場があって網を掛けたところからきたものか。【出典

■ 岩欠(いわかけ): 山梨県南巨摩郡身延町岩欠。御坂(みさか)山地の西麓山地、常葉(ときわ)川支流の栃代川下流に位置する。地名の由来については、「国志」に「岩石ノ欠崩シテ懸崖トナレリ、村名ノ起ル所ナリ」と見え、当地の地形にちなむものとされる。【出典

■ 大掛(おおがけ): 富山県滑川市大掛

■ 貝掛(かいがけ): 千葉県勝浦市貝掛。貝懸とも書く。夷隅川上流左岸に位置する。地名は、山間すなわち峡(かい)にあり、かつその陰にあたる意の峡陰が転じたものと伝える。【出典

■ 掛澗(かかりま): 北海道。渡島(おしま)地方東部、北は内浦湾(噴火湾)に面し、南は駒ケ岳山麓。地名はアイヌ語ロングテトマリに由来する。ロングテは100石以上の本州から来る和船、この船の入り掛る澗にちなむと思われる。【出典

■ 欠(かけ): 愛知県岡崎市欠町。乙川右岸に位置する。文和年間より総持尼寺領であったが、のち室町幕府の奉公衆小島大蔵が支配、さらに松平清康に仕えた柴田衛守が居住支配したという。欠城は本多忠勝の叔父本多忠真の居城という。【出典

■ 掛(かけ): 岐阜県山県市掛
・ 掛ケとも書き、掛井ともいう。東西に山が迫り伊自良(いじら)川が大きく湾曲している所に位置する。【出典

■ 掛(かけ): 埼玉県さいたま市岩槻区掛。

■ 掛(かけ): 奈良県宇陀郡曽爾村掛
・ 淀川水系青蓮寺川と山粕川の合流点付近に位置する。
・ 峪(かけ)の意味か。いわゆる「谷間」のこと。曽爾谷の渓谷を意味した形状地名。大和方言の「ガケ」であろう。【奈良の地名由来辞典 池田末則 東京堂出版】 

■ 垳川(がけがわ): 埼玉県八潮市垳

■ 掛川(かけがわ): 静岡県掛川市

■ 掛蔵(かけぐら): 新潟県新発田市江戸時代から昭和の半ばに掛けてみられた地名。町名は、掛蔵屋敷があったことに由来する。寛永2年五十公野(いじみの)村から鍛冶が移住したが、元禄元年職人町に屋敷割ができて鍛冶は移住し、その跡地に徒士が居住した。【出典

■ 掛下(かけした): 静岡県磐田市掛下。地名は崖下とも書き、天竜川が磐田原に形成した断崖地形に由来する。【出典

■ 欠下(かけした): 静岡県浜松市

■ 掛塚(かけつか): 静岡県磐田市掛塚。懸塚とも書く。天竜川下流左岸に位置する。地名は「掛塚」の「塚」は「須賀」の転訛で「砂丘(すか)」に通じ、堆積した旧天竜川の砂丘が欠け流されたことに由来するという。【出典

■ 欠之上(かけのうえ): 新潟県南魚沼市欠之上

■ 欠ノ上(かけのうえ): 埼玉県坂戸市欠ノ上

■ 欠郡(かけのこおり): 戦国時代摂津国にみられた郡名。東成・西成郡のあたり。また、欠郡の呼称については、住吉郡が住吉社の神郡とみなされ、南北朝期には中立の立場にあり、住吉郡を欠郡と呼んだとする見解もあるが、必ずしも明らかでない。【出典

■ 欠脇町(かけのわきちょう): 江戸時代から明治の初頭にかけて若狭国小浜にみられた町名。町名は垣脇・闕脇・柿脇・缺脇とも記される。城下への入口にあたるため欠脇門が設けられ、寛文年間から延宝年間頃の小浜町絵図には番所も見える。【出典

■ 掛畑(かけはた): 富山県富山市八尾町掛畑。「かけばた」ともいい、江戸期には懸畠・懸畑とも記された。地名の由来は、久婦須(くぶす)川中流左岸に位置し、平坦な広い畑作地帯であることによる。【出典

■ 掛畑(かけはた): 岡山県岡山市北区掛畑。地名の由来は、当地の伝説上の懸旗岳という山の名にちなむといい、孝謙天皇の時代に一片の幡が飛び下ってきて樹上に掛かったところから懸旗の名が生まれたという。【出典

■ 欠原町(かけはらまち): 江戸時代から明治の初頭にかけて加賀国金沢城下にみられた町名。俗に「がけ」とも呼ぶ。浅野川と犀川(さいがわ)にはさまれた小立野(こだつの)台地より、一段下の段丘上に位置し、嫁坂・中坂・新坂より犀川方面へ通じている。【出典

■ 欠真間(かけまま): 千葉県市川市欠真間

■ 掛水(かけみず): 栃木県日光市足尾町掛水。地名は崖から水が湧き出ている意から起こったという。【出典

■ 欠村(かけむら): 愛知県西尾市志籠谷町欠下

■ 籠掛(かごかけ): 福井県今立郡池田町籠掛。「かんかけ」ともいう。部子山北西麓、部子川上流籠掛川流域に位置する。地名の由来は、目子媛が部子山登拝の折、籠を掛けた場所、部子山上の神へ供えるための籠を木に掛けておいた場所、神鏡を榊にかけて拝した神懸がカンカケとなり籠掛と書かれるようになったなど諸説がある。【出典

■ 片掛(かたかけ): 富山県富山市片掛

■ 沓掛(くつかけ): 富山県黒部市沓掛。黒部川の西岸にあって、渡し場があった交通要路。渡し場で、旅行者が沓をかけて休憩した所という。「信濃地名考」には小県郡浦野駅の条下で、「今の沓掛村は古駅の残名なるよし記載し、又同郡長倉駅の条下に、世に伝えて、駅は古宿あたりといえば、今の沓掛かの駅の遺名なるべしといえり」と記し、また「越中志徴」は黒部古宿の項で「義経記」を引いて、「明ればくろべの宿にすこし休ませ給いて、くろべ四十八が瀬の渡りを越、云々。黒部の宿というは、今三日市より少し行けば往来に沓掛村というあり。此地ならむか」と記している。【出典

■ 倉掛(くらかけ): 栃木県矢板市倉掛。源義家の奥州遠征の途中、当地で休息し、マツの枝に鞍を掛けたことから、鞍掛松と称されるようになり、のち転じて地名の倉掛になったといわれる。【出典

■ 後生掛温泉(ごしょがけおんせん): 秋田県鹿角市。温泉名は近くの温泉地獄との対応により、後生善所極楽成仏を祈り、来世の幸福を祈る意味の後生掛に由来する。付近に泥火山や大規模な温泉地獄などを見学できる後生掛自然研究路がある。【出典

■ 七五三掛(しめかけ): 山形県鶴岡市大網七五三掛(しめかけ)

■ 白欠(しらかけ): 秋田県鹿角市八幡平白欠。白掛とも書く。

■ 角掛(つのかけ): 岩手県奥州市江刺区?角懸とも書く。北上山地西部の盆地に位置し、地内を東西に人首(ひとかべ)川が貫流する。人首川沿いに水田があり、住居は丘陵に散在する。地名の由来は、中世の武士角懸氏の姓によると伝える。また、角懸氏の名字については、四郎兵衛尉重勝の愛育する白鹿が、重勝の休息の間に自分も角を松の枝に掛けて眠るところから、重勝の姓を角懸氏としたとの伝説がある。【出典

■ 鍋掛(なべかけ):  栃木県那須塩原市鍋掛

■ 藤掛(ふじかけ): かつて美濃国にみられた地名で、藤懸とも書く。濃尾平野の北部、木曽川下流の西岸に位置する。木曽川河底より奈良期から中世の土器が出土。天正14年6月の大洪水による木曽川の河道移動は特に著しく、当地も尾張国からのち美濃国のうちとなる。【出典

■ 藤掛(ふじかけ):  新潟県新発田市藤掛。地名の由来は、昔は峠を越えて郷里を離れる時には山の神に何かを手向けて前途の平安を祈る習わしがあり、当地では美しい藤の花を峠の木に掛けて祈ったことにちなむとの説があるが、地形的に疑問が残る。【出典

■ 水掛(みずかけ): 千葉県成田市水掛。水懸とも書く。根木名川支流尾羽根川下流左岸の河岸低平地に位置し、民家は東端丘陵地縁辺に集中。【出典

統計表示