「国分寺(国分)」の地名
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■ 国分寺(国分)の地名
・ 国分寺の地名は東京都国分寺市が有名だが、他にも栃木県、新潟県、兵庫県、鳥取県、岡山県、山口県、香川県、鹿児島県などにもみられる。
・ また国分寺を省略した国分の地名も、北から南まで三十カ所以上にみられる。
【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠】 

■ 国分(こくぶん): 千葉県市川市国分(こくぶん)。
・ 国分郷: 戦国期下総国にみられた郷名。当郷は千葉常胤の五男胤通が当郷を分与されて国分氏を称したといわれる。【出典

■ 国分(こくぶ): 千葉県館山市国分。館山平野の南東部に位置する。古くは萱野(小字として残る)、また古代豪族の館があったところから館の原とも称し、奈良期、この地に安房の国分寺が建立されてから国分と称する。【出典

■ 国分(こくぶ): 戦国時代から見られる広域地名で、陸奥国宮城郡の西半分。戦国期国分氏が支配した地域を指して称したもの。近世国分荘と記すこともあるのはこの国分郡のいいかえである。国分氏は千葉常胤の五男胤通が下総国葛飾郡国分に住んでその字を名乗ったといわれ、文治の奥州合戦の賞として宮城郡国分荘を与えられ、はじめ郷六(仙台市)にいて、のちに千代城に移ったという。「余目記録」には「国分は、小山より長沼相分かれ、なかぬまの親類」とあって、秀郷流藤原氏小山長沼氏らと同族であるとしている。鎌倉期に平姓国分氏が没落し、代わって藤原姓国分氏が跡を継いだと考えられているが、この国分氏が本来平姓だったかどうかは不明である。

■ 国分(こくぶ): 山梨県笛吹市一宮町国分。古くは小窪と書き、「こくぼ」とも呼んだ。地名の由来は、甲斐国分寺があったことによる。 

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