「相楽」&「弟国」の地名
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古事記垂仁天皇の条に、みちのうしの王の5人の娘を妃に召し出したが、下の2人が醜かったので親元に帰した。そうしたら、5番目の娘が悲観して木の枝にぶら下がって死のうとした。そこでその地は「懸木(さがりき)」と呼ばれ、今は相楽(さがなか)と言われる。結局死ぬことができず、今度は険しい淵に落ちて死んだ。そこで、その地は「堕国(おちくに)と呼ばれ、後には「弟国」となった。

■ 相楽(さがなか): 京都府木津川市相楽。地名の由来は、円野比売が樹の枝にぶらさがって死のうとした地であるところから懸木(さがりき)と呼ばれていたのが、相楽と称されるようになったものという。【出典

■ 弟国宮(おとくにのみや): 京都府長岡京市。古代の都城名。継体天皇が経営した宮。今里集落の西に乙訓(おとくに)寺がある。「日本書紀」垂仁紀には、垂仁天皇にめされた丹波の5人姉妹のうち、姿が醜いとの理由で帰されることになった一女が、葛野まで来て「自ら輿より堕ちて死(まか)り」、故に「堕国(おちくに)」という地名がうまれ、そこが弟国になったという説話を載せている。もとより説話にすぎないが、しかしこの説話は弟国・乙訓のもともとの地点が、丹波への道=古山陰道に沿っていたことを記紀の編者が認めていたことを示す。【出典

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