「いんべ」の地名
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「忌部」の名字  
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■ 伊部(いべ): 滋賀県長浜市湖北町伊部
・ 伊部郷: 平安時代末期に近江国浅井郡にみられた郷名。

■ 伊部郷: 福井県丹生郡越前町織田
・ 奈良時代から平安時代にかけて越前国敦賀郡にみられた郷名。伊登志和気王の子代、伊部に由来する地名か忌部説もある。【出典

■ 伊部(いんべ): 岡山県備前市伊部

■ 忌部(いんべ): 奈良県橿原市忌部町(いんべちょう)
・ 忌部は、古代、鏡や玉などの祭器をつくり心身を清めて神に仕える職業だった。貞観11年忌部を斎部に改めたという。【奈良の地名由来辞典 池田末則 東京堂出版】
・ 鎌倉時代から大和国高市郡にみられる地名。曽我川中流域に位置する。忌部氏本貫地と伝承される。忌部の氏名は、大和王権の神事に携わり、かつ祭祀に必要な物資を貢納した忌部の伴造氏族であったことに基づく。延暦22年3月本宗の忌部氏は忌部を斎部に改めており、「姓氏録」右京神別上には「斎部宿禰。高皇産霊尊の子、天太玉命の後なり」とある。
忌部氏の旧姓は首で、のちに連となる。忌部氏は太玉命の後裔と伝承され、高市郡式内社太玉命神社は忌部町字一ノ宮に比定されている。【出典

■ 忌部郷: 奈良時代から平安時代にかけて紀伊国にみられた郷名。「和名抄」名草郡二十一郷の1つ。当郷付近を居地としたと思われる忌部氏がいる。当郷の比定地は現在の和歌山市神前(こうざき)・井辺・西・森小手穂(もりおてぼ)・寺内の一帯と推定され、このうち井辺は忌部の転訛であるという。【出典

■ 忌部(いんべ): 島根県松江市忌部町。

■ 忌部神戸(いんべかんべ): 奈良時代から出雲国意宇郡にみられる地名。「風土記」で忌部神戸とみえ、「和名抄」では忌部郷とみえる。忌部と名付けたのは出雲国国造が神吉詞(かむよごと)を奏上に朝廷へ参上するとき、御沐をして心身の汚れを清める潔斎の地であるため忌部というと「風土記」にある。【出典

■ 忌部郷(いむべのごう): 徳島県吉野川市山川町忌部。奈良時代から平安時代にかけて阿波国にみられた郷名。「和名抄」麻殖(おえ)郡四郷の1つ。高山寺本は「淫閇」、伊勢本・東急本は「伊无倍」と訓む。当地付近には多くの忌部氏が居住していたことが窺える。【出典

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