「多田」の地名
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 地名の目次
「多田」の名字  
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 多田(タダ): 千葉県香取市多田

■ 多田(ただ): 摂津国(兵庫県川西市多田院)。猪名川に一庫大路次(ひとくらおおろじ)川が合流する付近を北西端とし、そこから南東に広がる。【出典

・ 多田: 平安時代に摂津国河辺郡にみられた地名。豊島郡と能勢郡の中間に丹波に通じる道や広い原があり、百姓が開発し田田村と号したという。多太神社は大国主神の子孫大田々根子命を祀る。源満仲が多田の地に隠棲し、さらに多田院を建立したのは天禄元年のことという。満仲が多田の地を選んだのは住吉明神の霊告によると伝えるが、山に囲まれた要害の地であり、また開発も早くから進み、西国街道にも近く丹波に通じる要地でもあったことによろう。以後一族は多田源氏と称し、勢力は強く、多田は検非違使不入の地域でもあった。【出典

・ 多田荘: 平安時代末期から戦国期にかけて摂津国河辺郡にみられた荘園名。源満仲による多田院の創設後、猪名川沿いに開発が進み、満仲の子孫多田源氏により摂関家に寄進されたものと思われる。荘園を実質的に運営した多田源氏は源平争乱で没落、一時、源氏の一族大内惟義が管理した。大内氏承久の乱で没落し、以後北条氏得宗家)が掌握、政所も置かれて荘園支配を行った。鎌倉幕府滅亡後も足利氏により保護され、京極氏細川氏などの有力者が政所を支配した。【出典

統計表示