「相沢・鮎沢」の地名
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「相沢・相澤」の名字 「あゆ」の語源
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■ 相沢(あいざわ): 青森県青森市浪岡大字相沢(あいざわ)。藍沢とも書き、中世には苛沢と書いた。浪岡川の支流正平津川上流の河谷に位置し、四方を山に囲まれる。地名の由来については、寛政9年の菅江真澄が「錦の浜」において苛沢村の苛を蕁麻(いらくさ)のことと記している。【出典

■ 相沢(あいさわ): 山形県酒田市相沢(あいさわ)。山形県の庄内地方、最上川と相沢川の合流点近くの西側山麓に位置する。地名は、近くを流れる相沢川に由来する。地内には縄文時代の石名坂遺跡・徳田山遺跡、平安期の集落跡がある。また「延喜式」に見える飽海(あくみ)駅を当地に比定する説もある。【出典

■ 相沢(あいざわ): 兵庫県朝来市(旧生野町)。地名の由来は、元明天皇和銅5年7月、桃文師竹原直吉人が、勅を奉じ綾目沢に下ったといわれ、その綾目沢がのち相沢に転訛したものという。【出典

■ 鮎沢(あいざわ): 戦国時代駿河国安倍郡にみられた地名。現在の静岡市大字足久保奥組の通称相沢に比定される。【出典

■ 鮎沢(あゆざわ): 山梨県南アルプス市鮎沢。古くは会沢・相沢とも書いた。甲府盆地の西南部、御勅使(みだい)川扇状地の扇端から滝沢川などの氾濫原にかけて位置する。そのため天然の湧水や地下水に恵まれ、周辺の市之瀬台地などの畑方地帯の「根方」や御勅使川扇央の畑作地帯の「原方」に対し、「田方」と呼んでいる。地名の由来については、「国志」に「大井ノ郷・八田ノ御牧ノ分界コノ辺リニ当ルベシ、故ニ間ト云フ乎」とあり、大井郷と八田御牧の境にあったので「あい沢」といい、のちに鮎沢となったといわれる。【出典
・ 鮎沢郷: 鎌倉時代から戦国時代にかけて、甲斐国巨摩郡にみられた郷名で、鮎沢村とも言った。
・ 鮎沢村: 江戸時代から明治時代初頭にかけて甲斐国巨摩郡にみられた村名。当初は幕府領、のち甲府藩領、享保9年幕府領、延享3年一橋家領、寛政5年幕府領、天保3年からは田安家領。

■ 「鮎沢」の名字

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