友だちづきあいは大事 | |
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■ 150718: 友だちづきあいは大事
「幕末の四賢侯」と言われる、薩摩藩の島津斉彬、越前藩の松平春嶽、土佐藩の山内容堂、伊予宇和島藩の伊達宗城。
その中の一人の伊達宗城は、もとは旗本の山口直勝(第5代藩主伊達村侯の孫)の二男で、第7代藩主の伊達宗紀の養子となって1844年に第8代藩主となった。
しかし、宗城は当初徳川斉昭の娘の賢姫と婚約していたが、賢姫が早世し、後に鍋島直正の娘を正室に迎えた。
そのような縁から、鍋島直正や他の賢侯と親交を結ぶようになった。
それを考えると、もし賢姫が成人して宗城の正室になっていたら、宗城の交友関係も変わっていただろうし、彼の人生も大きく変わっていたのかも。