悪党
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■ 150130: 悪党

「悪党」というと、現代では「悪いやつ」という意味だろうが、「悪」とは中世においては「強い者」を表す言葉だった。山形県にも「悪七」という名字が見られるが、これも悪い意味でのネーミングでは無い。

次に「党」だが、これは平安時代後期に生まれた血縁集団で組織された武士団のことで、付け加えれば古代中国では500軒以上の家の集まりを党と言った。

「党」として代表的なものには「松浦党」「渡辺党」「武蔵七党」などがある。特に「武蔵七党」は名字を多く出したことでも有名であり、「金子」などはその代表であろうか。

話は変わるが、歴史を紐解くと、鎌倉時代に「御家人」という言葉が出てくる。この御家人とは、鎌倉幕府から所領を安堵された武士を意味した。この時代は武士と農業は兼業だったので農業本位の武士とでも言おうか。

しかし、この時代にも農業以外の産業はあった。その代表的なものが運送業(陸運、海運)であったが、この時代の物資輸送には「夜盗」や「海賊」のリスクが伴った。そうすれば、当然運送業者も武装せざるを得ない。というより、武装した武士団が運送業者に参入したということもあったかもしれない。こういった武士団は鎌倉幕府から所領を安堵された御家人では無く、幕府から見て「悪党」と呼ばれていたそうだ。後醍醐天皇の隠岐からの脱出を手助けした鳥取県の名和氏楠木正成などが代表とも言われる。

さて、最近は「悪党」という言葉よりも「悪女」という言葉の方がよく目にするような気がするが、現代風に解釈すれば「悪い女」ということなのだろうが、歴史的な解釈をすれば「強い女」となる。まぁ、この解釈、現代でも通用するような気はするが。

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