民俗学
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■ 災害の伝承

■ 蘇民将来伝承
・ 「蘇民将来(そみんしょうらい)」は日本各地に伝わる民俗信仰の一つで、「蘇民将来子孫」などと書いた札やしめ飾りを門戸に飾ることによって災いをさけるとする風習。
・ 昔、スサノウが宿を借りようとしたとき、二人の将来兄弟の内裕福な弟の将来は貸さなかったが、貧しい兄の蘇民将来は、貧しいながらも精一杯のもてなしをした。後に再びスサノオが訪れ、蘇民将来に子孫はいるかとたずね、「茅の輪を以ちて、腰の上に着けしめよ」というので、それに従うと、蘇民将来とその子孫以外をことごとく殺して、「吾はハヤスサノオの神なり。後の世に疾気あらば、汝、蘇民将来の子孫といいて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と自らの正体がスサノオであることを明かして述べた。【風土記謎解き散歩 新人物文庫】

※ テレビ番組の、芸能人が訪問。一晩泊めてくれませんか?と同じようなもんか?(笑)災害時とかはともかく、自分で泊まる宿くらい自分で手配しろよ。それにしても、一夜の宿を貸さなかったからといって子孫まで皆殺しにするというのは日本文化ではないよなぁ。スサノオの出自には異聞があるが、そんな感じか?仮に水戸の黄門様が農家で一夜の宿を求められて断られても、たぶん黙ってお堂なんかで夜露をしのいだと思う。その農家を皆殺しにするという文化は(今の)日本には無い。昔はそだったのかなぁ?

■ 「民俗学への招待 宮田登 筑摩eブックス」を読んでおります。そのワンポイントをボチボチと書いてみましょう。

# 民俗学の四大人: 「柳田国男」「折口信夫」「南方熊楠」「渋沢敬三」

# 「コメ(米)」: 古代、日本におけるコメ(田んぼ)は水田ではなく「陸田」であった。「コメ」が日本列島にどこから伝来したかはさておき、国内では九州から北に向かって広がってきたとされる。しかし、これだけ広い日本列島、コメにまつわる文化はそれぞれによって異なるようです。
・ 米の食べ方は概ね、「餅」と「飯」に分けられる。地域による「飯」の文化の違いはそうみられないが、「餅」の文化の違いはそれぞれの地方に残っているようだ。「力餅」「鏡餅」なんかが代表的か。
・ 古代には、「餅が白鳥に化する話」が語られており、餅は精霊のこもる依代(よりしろ)と思われていた。

■ 福井県の丸岡町に「毒消しの松」という古木があった。この松の木の周囲をめぐると、毒蛇にかまれてみ必ず治ると言われ、信者がお参りに来る。昔、女人が縁側で髪をといていると、蛇が昇天する妨げになるからやめてくれと頼んだので、髪をとくのをやめると、大蛇はお礼に、毒蛇に咬まれたら、その毒を消すと約束したという。

【参考図書】

# 民俗学への招待 宮田登 筑摩eブックス 


■ 常陸国風土記に、崇神天皇の時代に、鹿嶋大明神に「馬一疋」を奉ったとあることから、古代には「生馬献上」の風習があったことがうかがわれる。後に、絵馬に転じたんだよな。神田明神だったかなぁ、生きている馬がいるの。【天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書】

■ 彦倉虚空蔵尊「延命院」がある埼玉県三郷市彦倉ではいまでも鰻を食べない人がいる。
・ 秋の大雨が数日続き、古利根川(中川)が増水して堤防が決壊し、付近の民家は床上まで浸水した。助けを呼ぶ声がするので探してみると、子供や老人が丸太のようなものに乗ったり、つかまったりしていた。しかし、それは丸太ではなく鰻の大群が縄のように寄り集まり、人の身体をながれないようにしていた。この恩返しのため、助かった人達は鰻を食べないと誓った。【天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書】

■ 甲府盆地も大昔は湖だった。そこに根裂(ねさく)の神、磐裂(いわさく)の神が現れ、南山の岩を切りあけて湖水を駿河の海に通じるようにした。それは、養老年間に甲斐を訪れた行基菩薩によるともいう。【天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書】

■ 濃尾平野の輪中、水屋。多摩川流域では「水倉(みずくら)」、利根川や荒川流域では「水塚(みずか、みずつか)、淀川流域では「段蔵(だんぐら)」と呼ばれた。【天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書】 

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