備後国
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# 旧山陽道。

# 現在の広島県の東部。

# 太閤検地での石高: 19万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。備後国は35位。

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■ 甲奴郡(こうぬ): 備後国の郡名。備後国の中央部、県の東部中央に位置する。古くは「甲努」と表記され、また「高怒」「神怒」などとも書かれた。「和名抄」国郡部では訓を「加不乃」とし、「こうの」と訓んでいる。郡名の由来について「芸藩通志」は、「神野、河野などの義にてもあらんか」とする。出典

■ 深津郡(ふかつぐん): 古代より備後国にみられた郡名。「和名抄」国郡部によれば「布加津」と訓む。現在の福山市、芦田川以東の地域に相当する。「続日本紀養老5年夏4月丙申条に「分備後国安那郡置深津郡」とあり、この年、安那郡郡域の南部を分割して当郡が設置された。慶長5年福島氏元和5年水野氏以来の福山藩領、元禄11年幕府領三吉陣屋支配、同13年再び福山藩領。

■ 三上郡(みかみぐん): 旧備後国。広島県。
・ 備後国の北部、県の東北部に位置する。「和名抄」国郡部では「美加三」と訓む。郡名は御神の語義から発するものという。【出典

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