蝦夷地
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# 蝦夷地はいわゆる旧国名とは異なりますがとりあえず。

# 現在の北海道

# 蝦夷地が北海道と呼ばれるようになったのは明治2年。

# 蝦夷という表記は七世紀から用いられ、「エゾ」という呼び方は平安時代からみられる。

# 蝦夷地の日本人(和人)の人口は江戸時代末期に約6万人。アイヌ民族は約2万人。【地名を巡る北海道 HOPPAライブラリー】

# 蝦夷地(えぞち): 北海道を指す広域称。時代によりその範域は異なるが、近世には一般的に北海道を指し、夷地・狄地とも称した。厳密には北海道南部の和人地(松前地・シャモ地とも)以北をいい、樺太(からふと)(サハリン)および南千島も含んだ。蝦夷地の南限は時代により変動したが、松前藩は蝦夷地を和人地から厳格に区分、境界に番所を設けて和人の蝦夷地への定住、アイヌと和人百姓との直接交易を固く禁じた。【角川日本地名大辞典】

■ 松前地(まつまえち): 蝦夷地・北海道
・ 江戸期の地域名。和人地・日本地・日本人地・人間地・シャモ地などとも表記するが一定した呼称ではない。渡島(おしま)半島南岸西部の熊石から東部亀田近辺に至る地域。「松前」と称することが多く、北海道における和人居住域を意味し、松前藩領の内、和人が主たる居住者で、和人の村落共同体(行政村)の所在地、和人人別の登録地であった。領域は年代的に変化するが、天文20年の「夷狄之商舶往還之法度」により、西は上ノ国(天ノ川)、東は知内(しりうち)(知内川)を境界とする和人地が形成されたのが最初。松前藩の確立と和人来住の増加のもとで、アイヌとの混住の様相を見せながら次第に領域が拡大され、寛永年間頃には、西は江差北部の乙部(おとべ)、東は汐首岬近くの石崎辺りまで伸張、これに伴い亀田番所が成立した。寛政10年の幕府巡見使の巡検範囲が、乙部の瀬茂内から東の潮泊・石崎までとなっているのは、当時の松前地(和人地)の領域を裏付けるものといえよう。【角川日本地名大辞典】

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