一条家 | |
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■ 一条家(いちじょうけ): 「一条」の名字の由来
・ 土佐国幡多荘(高知県四万十市)を本拠地とした。
・ 五摂家の一条家の流れをくむ。応仁2年(1468年)に、一条兼良の子で関白の一条教房が、応仁の乱の混乱を避けて、京から所領の土佐国の幡多荘中村(高知県四万十市・旧中村市)に移り住んだ。1575年に長宗我部家に破れ滅亡した。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】
# 一条家(土佐国)
・ 関白・太政大臣を務めた一条兼良は、応仁の乱を避けて奈良の興福寺に転じた。嫡男の教房は一条家の荘園があった土佐国幡多郡に転じて土佐国の一条家の祖となった。京都の一条家は弟の冬良が継いだ。【「系図」を知ると日本史の謎が解ける 八幡和郎 青春出版社】