成瀬家
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■ 成瀬家(なるせけ): 「成瀬」の名字の由来

・ 成瀬家12代当主の成瀬正俊。成瀬家は尾張藩の付け家老

・ 犬山城は明治4年の廃藩置県で、天守以外の建物がほとんど取り壊され、愛知県の所有となった。明治24年の濃尾地震で天守が半壊した際、愛知県が成瀬家に修理を要請し、それを条件に再び成瀬家の所有となった。

・ 成瀬家は、南北朝時代に、関白の二条良基が三河国足助荘成瀬郷(愛知県豊田市)に滞留中に生まれた基久が同地に住み、成瀬氏を称した。子孫は松平氏に仕えた。

・ 犬山城の初代城主の成瀬正成は、家康の小姓をつとめ、初陣の小牧・長久手の合戦の功で、家康の関東入国後に、下総国葛飾郡栗原郷(千葉県船橋市)で4千石、後に甲斐国で2万石、その後三河国加茂郡で1万石の加増を受けた。そして、家康の九男の義直が尾張藩主となると、1612年に付け家老を命ぜられ、1617年に犬山城主となった。

【お殿様は「今」 加藤明 洋泉社】 

# 尾張国犬山城の成瀬家は二条家の流れを引くと称し、三河国東加茂郡足助荘成瀬郷にあったが松平親氏に仕えた。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

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