林家
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■ 林家(はやしけ): 「林」の名字の由来

# 林家(上総請西藩1万石・千葉県木更津市)

・ 林家20代当主の林忠昭。現当主は21代忠輝。(平成29年現在)

・ 幕末の藩主、林忠崇。忠崇は慶応4年(1868年)4月3日に脱藩を決意した。「徳川の御家再興を基本とし、心得違いこれなく五常(仁、義、礼、智、信)の道堅く相守り、仮りに暴行いたすまじき事」。

・ 林家は、もとは旗本。徳川斉昭の寵愛をうけた忠英が文政8年(1825年)に若年寄に昇進した際に、3千石を加増され1万石となって大名となった。

・ 林家のルーツは清和源氏の小笠原流。室町時代に信濃国の守護を務めた小笠原清宗の次男の光政が林郷(長野県松本市)に住んで林氏を称した。寛政重修諸家譜によると、徳川家の祖の世良田有親・親氏親子が諸国を放浪中に、林郷の光政の家にやっかいになった。これが縁で、後に光政を松平家に迎えた。

【お殿様は「今」 加藤明 洋泉社】

# 林家(下総国請西藩)

・ 家康の六代前の松平親氏の頃から旗本として松平家に仕えた。大名としての初代は、11代将軍の徳川家斉の時に林忠英が家斉の小姓となり、小姓頭取、小姓組番頭格御用取次見習、御側御用取次と出世し、3千石から7千石となった。文政8年(1825年)には若年寄となり、上総国の貝淵藩を立藩。二代忠旭が請西に陣屋を移して請西藩となった。明治維新後には唯一取りつぶしとなった藩となる。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

・ 昭和まで生きた最後の殿様

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