安藤家
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■ 安藤家(あんどうけ): 「安藤」の名字の由来 

# 安藤家(紀伊国田辺藩

・ 安藤家の初代の直次は、徳川家康に仕え慶長12年に家康が秀忠に将軍職を譲り、駿府に移った際にも同行し、本多正純、成瀬正成とともに大御所の側近として国政にたずさわった。大阪の陣では家康の十男の頼宣の補佐を務め、遠江国の掛川2万石。元和5年に頼宣が紀州藩主となった際に、直次は付家老として紀伊国の田辺に転じた。明治維新後には田辺藩主。後に男爵。貴族院議員。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

# 安藤家(陸奥国磐城平藩

・ 田辺の安藤家の分家。初代の直次の弟の重信を祖とする。慶長16年には老中。慶長17年に下総国小見川藩1万6600石。元和5年には上野国の高崎5万6600石。その後減封をうけ、六代の信成のときに陸奥国磐城平藩5万石。十代の信正は幕末に老中首座を務め、皇女和宮を十四代将軍家茂に嫁がせるのに尽力した。しかし、尊王攘夷派の反感で、文久2年(1862年)に江戸城坂下門で襲撃を受け負傷。老中を罷免された。明治維新後に信正の八男の信守が子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

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