相馬家
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■ 相馬家(そうまけ): 「相馬」の名字の由来

# 代表家紋

# 相馬家【お殿様は「今」 加藤明 洋泉社】

・ 旧陸奥国中村藩(福島県相馬市)の相馬家の末裔は、北海道門別町の柏台牧場の経営者。

・ その末裔曰く、「相馬」の語源は「馬の相を見る」。

・ 現当主の相馬和胤は昭和15年に、長野県軽井沢の別荘で4人兄弟の長男として生まれた。母親は尾崎行雄の三女。妻は麻生太郎の妹。

・ 相馬家のルーツは平将門。将門は、下総国相馬郡を拠点に相馬小次郎を称し、その子孫が相馬氏を称した。

・ 和胤の父の恵胤(やすたね)が平成6年に80歳で亡くなったときに、和胤は氏神の相馬中村神社の宮司に「貝葬」を頼んだ。貝葬とは、野馬追の法螺貝を吹き鳴らし、死者を送り出すもの。

・ 旧中村藩の領地は、東日本大震災で被害をうけた。死者2374人(関連死を含む)、行方不明168人で、福島県全体の死者で65%、行方不明者で75%をしめた。

・ 東京電力福島第一発電所の事故による風評被害で、和胤の長男の行胤が相馬市で経営していたシイタケ栽培の会社が倒産。その資金繰りの影響で、北海道の柏台牧場も閉鎖。

・ 和胤曰く、「復興という言葉は嫌いだね。この地域は以前にも増して発展すると確信していますよ。相馬家の領地だった700年の間にも、地元で『よだ』とよんだ大津波に何度も襲われ、そのたびに見事に立ち直って・・・・」
※ やはり、この地でも津波のことを「よだ」って呼んだんだねぇ。 

# 相馬家(そうまけ): 家紋「九曜紋

・ 陸奥国行方郡小高(福島県相馬市)を本拠地とした。

・ 平将門を遠祖とし、下総国相馬郡をルーツとする。7代の重胤は一族と領地の争いを行ったが不利とみて、陸奥国行方郡に転じた。下総国に残った一族は豊臣秀吉の小田原攻めで北条方に属し改易となった。陸奥国の相馬家は小田原の陣に参じ所領を安堵された。関ヶ原の戦いでは合戦に参加しなかったことから一度は改易と決まったが本多正信の取りなしで所領を安堵された。

【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

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