丹羽家
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■ 丹羽家(にわけ): 「丹羽」の名字の由来

# 代表家紋

・ 武蔵国豪族の児玉氏の一族が尾張国に転じて春日井郡児玉(愛知県名古屋市)に来て、尾張国守護の斯波氏に属し丹羽氏を称した。丹羽長秀の兄の長忠は斯波氏に仕えていたが、長秀は信長に仕えた。丹羽長秀は、近江国の浅井氏が滅亡後に佐和山5万石。天正3年に惟住(これずみ)姓を名乗ったが、これは阿蘇大神宮の神官に由来したもので、将来の九州進出に備えたものという。丹羽長秀の死後、丹羽長重が嗣いだが、軍紀の乱れで秀吉の怒りをかい、加賀国松任4万石に左遷、その後参議となり加賀国小松12万石。関ヶ原の戦いでは西軍に属し改易。丹羽光重は徳川秀忠に近づき、1603年に常陸国古河1万石。その後に陸奥国棚倉、陸奥国白河を経て、1643に陸奥国二本松10万石。
【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

# 一色丹羽家(播磨国三草藩

・ 足利泰氏の子孫が一色氏を称し、その家系なので一色丹羽家と呼ばれる。陸奥国二本松藩の丹羽家とは別流。初代の氏次は織田信長に仕え、信長の死後は徳川家に仕えた。関ヶ原の戦い後には三河国伊保藩1万石(定府大名)。大坂の陣後には美濃国岩村藩2万石、その後減封されて越後国高柳藩1万石から播磨国三草藩。明治時代には子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

・ 二本松藩主の丹羽家とは別流。三河国一色氏の一族が尾張国丹羽郡に転じ丹羽氏を称した。丹羽氏次は織田信雄に従って伊勢国にあったが、その後家康に転じた。関ヶ原の戦いの後には三河国伊保1万石。子孫は美濃国岩村、越後国高柳を経て1742年に播磨国三草へ転じた。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】 

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