徳川宗家
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■ 徳川宗家

・ 松平忠輝の赦免の願いに対して、徳川宗家18代恒孝(つねなり)が歴史書を詳細に調べた上で赦免の決断をした。それに対して、日本史の学者から「歴史というのは、後から触るものではない。三百年以上が経ち、若造のあなたが赦免状を出すなど、とんでもない」としかられたそうだ。

※ さて、はたしてそうなのだろうか?それを言えば、一度刑に服した人達を後に恩赦によって減刑することも歴史をいじることになるし、そもそも日本の歴史上、後に赦免した例は数多い。菅原道真の菅原家も同様だろうし、坂本龍馬もそうだ。それにもまして、不惑を過ぎたいっぱしの大人をつかまえて「若造が」という人達そのものが「老害」と言われても仕方がないのではないのかなぁ?

・ 徳川宗家18代恒孝は、もと日本郵船副社長。恒孝曰く「一番大きな仕事が、お墓参りですね。家康公の命日、4月17日の久能山東照宮と、翌5月17日の日光東照宮の例大祭には毎年かならず、衣冠束帯をつけて、お参りします。それから、歴代将軍や奥方たちの命日も、菩提寺のある上野の寛永寺と芝の増上寺で、いまでも法要が営まれていますから、出席しています。」

・ 日本郵船時代に、同僚に加賀百万石の前田家の18代当主の前田利祐がいた。

・ 徳川宗家17代の家正の嫡子が早世したので、恒孝が会津松平家の分家から養子に来た。恒孝の母の豊子は家正の長女。

・ 恒孝の父親は、会津松平家の最後の藩主の容保の孫。

・ 明治時代、徳川宗家の屋敷は千駄ヶ谷にあった。

【お殿様は「今」 加藤明 洋泉社】

 

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