三浦家の家紋
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■ 三浦家の家紋: 「三浦」の名字の由来

# 代表家紋: 丸の内に三つ引紋丸に三つ柏紋丸に立ち沢瀉紋丸に違い鷹の羽紋丸に木瓜紋

・ 三浦義澄: 三つ引両紋源平の合戦の際に、源氏方の武将は頼朝の白幕をはばかって、白幕に黒い線を引いた。このとき、新田家は1本、足利家は2本、三浦家は3本引いた。これに由来する。

# 三浦【出典

・ 神奈川県三浦市/桓武平氏良文流: 「三浦三つ引紋」「丸の内に三つ引紋」「丸に三つ引両紋」「三浦堅て三つ引両紋」「丸に堅て三つ引両紋」「丸に三つ柏紋」「丸に抱き柏紋」「丸に違い鷹の羽紋」「丸に立ち沢瀉紋」「丸に木瓜紋」「丸に釘貫紋」「丸に松皮菱紋」「丸に五三桐紋

※ 村岡五郎平忠通の子の為通が三浦平太夫を称すると言うが、創世記には不明な点も多い。後三年の役源義家の郎党として活躍した二代為継を初代とする説もある。義澄・義村の代に源頼朝に従って鎌倉幕府の有力御家人となり、子孫はおおいに繁栄して全国に広がった。

# 三浦家【出典

・ 三浦三つ引紋(みうらみつひきもん): 相模国の三浦半島を本拠とした三浦氏は桓武平氏の一族で、源平の合戦では源頼朝に与し、鎌倉幕府の有力御家人となった。家紋は三浦の「三」の文字を図案化した「三つ引紋」。1247年の反乱で、惣領家は滅亡したが、会津の芦名家や越後の和田家、美作の三浦家などの各地の一族で、家紋は継承された。

家紋の図柄

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