西郷隆盛
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■ 西郷隆盛: 「西郷」の名字の由来

# 西郷隆盛の家紋

# 江戸時代には「西郷(苗字)吉之助(字)隆盛(諱)」だったが、明治時代には「西郷隆盛」。昔は、「諱」は呼ばなかった。

・ 明治維新後に名前を登録するときに、政府は「武士は(字)か(諱)を登録しろ」と言った。

・ 薩摩藩では「諱」を届けることを申し合わせたが、西郷はいつまでも届けない。そこで、代理で届けようと思ったが、だれも西郷の「諱」を知らないことに気づいた。このように、かつては親しい友人でも「諱」は知らなかった。そこで考えた。西郷家通字は「隆」であり、だれかが「隆盛」だといい、「隆盛」で届けた。しかし、「隆盛」は父親の「諱」で、本当は「隆永」だったそうだ。

【伝説の日本史 第1巻〜神代・奈良・平安時代 「怨霊信仰」が伝説を生んだ〜 井沢元彦】

# 西郷隆盛の「南州翁遺訓」: これは出羽国庄内藩の藩士達がまとめたもの。庄内藩は戊辰戦争で朝敵となって薩長と戦って敗れた。しかし、西郷の意思で寛大な処分ですんだので、西郷をあがめた。

# 幼名は小吉。通称は吉之助。「隆盛」は父親の吉兵衛の名乗りだったが、王政復古で位階を授けられる際に、親友の吉井友実が誤って、父親の「隆盛」で届けた。【出典

# 西郷隆盛(さいごうたかもり)【出典

・ 1827ー1877年。享年51歳(自害)。

・ 出身地: 薩摩国。

・ 肩書き: 薩摩藩士。政治家。

・ 家紋: 抱き菊の葉に菊紋。

・ 西郷隆盛は、薩摩国鹿児島城下に、貧しい下級藩士の西郷吉兵衛の長男として生まれた。18歳で郡奉行のもとで、郡方書役助になった。のちに、同じ薩摩藩士の大久保利通とともに倒幕に動き、大政奉還後には王政復古のクーデターをおこして徳川勢力を一掃した。戊辰戦争後には帰藩していたが、新政府の参議になって、大規模な内政改革を実行した。その後、鎖国策をとっていた、朝鮮に対して板垣退助が征韓論を唱えたのに対して、西郷は平和交渉をを望んだが、退けられた。その結果、西郷は要職を辞して鹿児島に帰り、私学校を設立した。しかし、政府はこれを私設軍隊と疑って、結果としておこったのが西南戦争。しかし、西郷は鹿児島城山で包囲されて自害した。


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