青木昆陽
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■ 青木昆陽(号): 「青木」の名字の由来

・ 1698年〜1769年
・ 本名: 敦書(あつぶみ)
・ 別名: 厚甫(こうほ)
・ 通称: 文蔵
・ 渾名: 芋先生、甘藷先生
・ 江戸の魚問屋の「佃屋」に生まれた。

・ 享保の飢饉の際に、薩摩藩で「甘藷(サツマイモ)」の栽培に成功したことを知った昆陽は、吉宗により甘藷の栽培実験を命ぜられ、それに成功した。その功績により幕臣に取り立てられ、のちに書物奉行となった。

# 青木昆陽は江戸の日本橋小田原町の「佃屋(つくだや)」という魚問屋の息子。学問が好きで古義学の伊藤東涯に学んだ。

# 青木昆陽(あおきこんよう): 1698−1769年。儒学者、蘭学者。魚屋の息子であったが、学問を好んで京で儒学を学んだ。享保の大飢饉に際して蕃書考を書き、救荒作物として甘藷(サツマイモ)を進言した。大岡忠相に認められ、八代将軍吉宗が推奨して広まった。【出典


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