大奥
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 江戸時代の雑学
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 奥様という言葉は、武家の奥御殿からでている。つまり男だらけの表御殿と女ばかりの奥御殿である。ただし、江戸幕府の御家人には表裏の区別はなかったそうだ。したがって、奥様とは言わずに御新造様といった。その奥御殿の中で、将軍家のは大奥と言い、諸大名や旗本家の場合には奥向(おくむき)といった。なぜ、将軍家だけ大奥かというと、江戸城には中奥もあったからという。【考証 大奥 稲垣史生】

■ 江戸時代、大奥では自殺が多かったという。今の日本も世界的に自殺の多い国といわれるが、背景は相通じるものがあるのだろうか。一言で言えば「息の詰まる社会」かな。【誰も書かなかった徳川家の謎 小泉俊一郎 中経文庫】
・ 幕末における大奥の給与(年俸)は、上級の上畍翡寄で「切米50石、合力金60両(計約135両)」、下級の御錠口で「切米20石、合力金30両(計約60両)」。
桜田門外には、お庭番の屋敷や大奥女性の屋敷があった。【誰も書かなかった徳川家の謎 小泉俊一郎 中経文庫】
・ 大奥の人数は約800人

■ 大奥の予算: 幕末の記録によると、大奥の年間予算は20万両。これは幕府の年間予算の約10%を占めた。大奥における砂糖の消費量は1日に600Kgという。【日本人なら知っておきたい 江戸の武士の朝から晩まで 歴史の謎を探る会編 KAWADE夢文庫】

■ 大奥
・ 幕末時の14代将軍家茂の時代に、大奥の女中は公方様付きが132人、御台様の和宮付きが71人、天璋院(篤姫)付きが91人、本寿院(家定の生母)付きが56人、実成院(家茂の生母)付きが39人で、計389人。
・ 職階: 家定時代の職階は、公方様付きで24、御台様付きで17。トップは御年寄で今の金額に直して年収は3502万円。【江戸の長者番付 菅野俊輔 青春出版社 ・ 1両:約16万2000円で計算 】

■ 武家の屋敷が「表」と「裏」にわかれたのは室町時代。日本の多くの文化は室町時代に出来たと言われる。「表」と「裏」、今でいえば総理官邸と総理公邸みたいなもんか?【参考: 考証 大奥 稲垣史生】

■ 御台所の称は食べ物を調理する「御台盤所(みだいばんしょ)」からでたという。中世以前は、公家の大臣・大将、武家では将軍・大名の夫人に用いられたが、江戸時代には将軍夫人専用。【参考: 考証 大奥 稲垣史生】

スポンサーリンク
スポンサーリンク
統計表示