高知県内の諸藩
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■ 高知新田藩(高知県高知市)

・ 山内家1万3千石。

・ 1780年に土佐藩から分知。

# 土佐新田藩(とさしんでんはん): 土佐藩の支藩。土佐国。山内家。外様大名。1万3000石。控間:柳間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:港区南麻布。安永9年に、土佐藩主の山内家の一族の山内豊産が分知されて立藩し、以後は六代続いて、その後は土佐藩に併合。【出典

■ 土佐藩(とさはん): 高知県高知市

・ 「土佐」の地名

・ 山内家24万2千石・外様

・ 山内一豊

・ 山内土佐守

・ 関ヶ原の戦いののち、遠江国の掛川から入封。

・ 山内家藤原秀郷の子孫を称し、相模国丹波国を経て尾張国に転じた。

・ 貞享元年(1684年)、土佐藩の山内家の江戸藩邸に住む家臣の数は合計3195人(内女性146人)。家臣は江戸定府侍と勤番侍とがいた。【参勤交代の真相 安藤優一郎 徳間文庫カレッジ】

# 土佐藩
・ 表高24.2万石、実高約50万石。
・ 人口(嘉永6年): 45万7053人。
・ 家臣団: 上士、下士、郷士約800人。
【歴史人 2018.08.No92 江戸三百藩「仕事と暮らし」】

# 土佐藩: 貞享元年(1684年)に江戸屋敷に住む家臣の数は3195人。土佐藩は鍛冶橋に上屋敷(7052坪)、芝に中屋敷(8429坪)、品川に下屋敷があった。上屋敷(1683人)、中屋敷(1295人)。3195人中3049人が男性、146人が女性。【大名屋敷「謎」の生活 安藤優一郎 PHP文庫】

# 土佐藩士: 伊賀家 ・ 植木家 ・ 大町家 ・ 小笠原家 ・ 奥村家 ・ 鹿持家 ・ 川田家 ・ 五藤家 ・ 島村家 ・ 竹村家 ・ 百々家 ・ 中岡家 ・ 中島家 ・ 永野家 ・ 鍋島家 ・ 西野家 ・ 野中家 ・ 孕石家 ・ 深尾家 ・ 福岡家

# 土佐藩(とさはん): 土佐国。高知城。山内家。外様大名。24万2000石。控間:大広間。格:国主。位階:従四位下。上屋敷:千代田区丸の内。戦国時代まで、土佐国は四国をほぼ統一した長宗我部元親の本国だったが、豊臣秀吉の四国攻めによって土佐国一国のみに減らされた。しかも、元親の子の盛親が関ヶ原の合戦で西軍について改易された。その後、山内一豊が入封して幕末まで続いた。【出典

■ 中村藩(なかむらはん): 高知県四万十市中村

・ 山内家

・ 山内豊明は外様だが、五代将軍の徳川綱吉にかわいがられ若年寄に抜擢された。さらに老中にとの話に、「荷が重い」と固辞したため、除封された。

# 中村藩士: 

# 中村藩(なかむらはん): 土佐藩の支藩。土佐国。中村城。山内家。外様大名。3万石。明暦2年(1656年)に、土佐藩主の山内忠義の子の忠直が立藩。三代の豊明が徳川綱吉の不興をかって廃藩。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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